
長野県上田市の生産者を訪ねてきました。うえだみどり大根、真田丸
こんにちは。
船橋市地方卸売市場内で市場カフェを経営するマスターです。
先日、幕張メッセで行われた先端農業展に10月15日弊社のスタッフと一緒にお邪魔してきました。

この会場で出会ったのが、長野県上田市で「真田丸」というブランド地鶏を手掛けている大沢重雄さん。「上田は良いところだから遊びにおいでよ~」と言っていただいたので、その場で日程を決めて、翌々週26日に上田を訪問する事にしました。

船橋市から上田市ってどのくらいかかるんだろう!?
Googlemapで検索してみると車で3時間くらい。電車で行けば2時間半くらい。普段、片道2時間くらいだったら毎日のように車で房総半島を回っている僕からすると「意外に近いぞ」という感覚です。

実は、松本市経由で上田市に向かうと中央道を案内されるんですね。
当然首都高速を通って都心を抜けて行くわけですが、朝の通勤時間帯のラッシュと重なってしまって松本市まで5時間ほどかかりました…



松本城の周辺には城下町の風情を残した良い感じの場所もあるようなんですが…松本神社の前にあったちょっと良い雰囲気のお店でビールを横目に野沢菜の「おやき」だけ食べ約1時間の滞在で上田市へ。

松本城から上田市まで1時間ちょっと。
目指す、大沢さんのお店「ギフトショップオオサワ」は、上田市の本郷という場所にある。ちょっと時間間に合わなそうだったので、上田駅近くの宿に車を停めずそのまま大沢さんのお店に向かう事に。これで30分以上短縮でき、近くにあった生島足島(いくしまたるしま)神社を訪問出来ました。

神社の詳細については、Wikipediaをご覧ください。とっても素敵な神社でしたよ~
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%9F%E5%B3%B6%E8%B6%B3%E5%B3%B6%E7%A5%9E%E7%A4%BE
ここから、車で5分ほど。
ギフトショップオオサワが見えてきました。


実は大沢さん、色んなメディアに登場している人気者。
まぁ、そういう人じゃなきゃ地域を代表して幕張メッセに出店していたりしないですよね。
「真田丸」という商標で地鶏を出荷している養鶏農家です。
生後30日ちょっとの若鶏を購入して、約100日オオサワ農園で飼育。この間に、どんな飼育をするかで肉の味が変わるんだとか。
「普通の養鶏所では、生後80~100日くらいの鶏を出荷するんだけど、うちでは130日くらいまで飼育しているんです。その方が身がしまって歯ごたえが良くなるんだ」
記事はコチラ
・JA長野県「長野県のおいしい食べ方」 「限定生産の真田丸いざ出陣」
・長野放送「魅力は食感と味わい信州の地鶏こだわりの飼育『信州黄金シャモ』に『真田丸』」

一般に鶏肉は、出荷時期が遅れればその分だけ肉が固くなってしまい肉として人気がなくなってしまうんだとか。
オオサワ農園では、固くなりがちな肉質を弾力ある食感に変える為、エサをはじめとして様々な工夫をしているという。
「配合肥料だけのエサだとたんぱく質が多くなり、バランスが悪い。上田の土手に生えているミネラルたっぷりの草をやったり、みどり大根の葉っぱをやったりしている。あとは運動。やっぱり、バランスが大事だなぁ~」
オオサワ農園の鶏舎は、5つの鶏舎を使って鶏を飼育。それぞれの鶏舎では広さを十分にとって成長過程に合わせて別鶏舎にすることでストレス軽減を図り、鳥たちが自由に走り回れる運動しやすい環境を整えている。
山に囲まれた盆地の上田市。山が蓄えた自然の恵みが川で運ばれ肥沃な土地を作っているのだそうだ。

鶏たちは、上田の自然をたっぷり吸収した草とみどり大根の葉を食べて100日間かけて成長していく。
「飲み水が大事なんだよ」
取材後、酒を酌み交わしながら上田さんが語った。
レバー嫌いな僕が、上田さんの勧めてくれた「真田丸」のレバーを食べて驚いた様子を見て教えてくれたのだ。
レバー特有の口いっぱいに広がるあの臭みが全くない。新鮮なのもあるだろう、調理の方法が良いのかも知れない。でも、きっとそれだけじゃない。そう思って質問した僕に
「鶏は食べたらすぐに水を飲むんだ。食べたはしから水を飲むからどんどん水が汚れる。多くの養鶏所では水は桶に汲んであるままだけど、うちは流しっぱなしなんだ。だから水が常に新鮮。エサで水が汚れることがないんだ」

この日、大沢さんは近隣の仲間で「うえだみどり大根」生産者の古野さんと小松さんを紹介してくれた。

大沢さんと小松さんは、子どもの頃から上田のこの集落で育ったという。古野さんは移住組。でも60歳くらいで移住してきているので既に13年も上田市に住んでいる。
「しっかし、古野さんと出会ったのも最近だもんな~すっかりお世話になってしまっていて」と小松さん。
最近というけど、出会ったのは4~5年程前なのだという。農作業で忙しい時には古野さんが関わっている就労支援施設からお手伝いを派遣してくれるのだ。
小松さんはずいぶん前に奥さんを亡くし独り身なのだという。
「でもよ、仲間がいっから毎日楽しいんだ」と親しみのある笑顔でつながりの大切さを教えてくれる。
小松さんは、地元上田の有力企業・オルガン針株式会社を勤め上げ引退後に農業専従になったのだという。(オルガン針株式会社は下記公式HP参照)
